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2010年04月29日

カミングアウト

皆さん、お久しぶりです。
10日もおさぼりしてしまいました。icon10


4月19日 PM4:00、横浜に住む弟からの1本の電話。
父が倒れたと。救急車で病院に運ばれたと。

ただ事ではないことを瞬時に悟りました。
とりあえず、お金だけを持って、1人で新幹線に飛び乗りました。

父と会えたのは、PM6:40。

病室ではなく、そこは霊安室でした。
紫色の御線香の煙が部屋を包みこんでいました。

とても穏やかな顔。生前には見せなかった安心した顔。
ようやく、落ち着いたのかな?

いつも心配ばかりかけていました。あまりいい娘ではありませんでした。
たくさんの親不幸をしました。父は私が娘で幸せだったのかな?

ごめんね。お父さん。

悲しみに更ける間もなく、葬儀屋さんと警察が来ました。
どうやら、わたしの到着を待っていてくれたらしい。

父の遺体は警察へ。私達も横浜の実家に行き、警察の方の
現場検証に立ち会います。

自宅で既に、息をひきとっていた父。
このような場合、警察の調べが必要になります。

夜遅くまで、行われました。

この日は、横浜に泊まりました。
20日のヨガレッスンは、お休みさせて頂きました。

ご迷惑をおかけ致しました。

この日の夜は眠れませんでした。
朝を迎えましたが、気持ちの行き場がなく、
落ち着かなかったので、大自然の力を借りる事に
しました。外に出て美味しい空気を吸いました。

私の実家です。

カミングアウト 
 

カミングアウト
父が手入れしていた庭です。

カミングアウト 
ここも父が野菜を作っていたマイ畑です。
ジャガイモ、すいか、イチゴ、きゅうり、、、、、もう食べられないね。

カミングアウト 家の前の風景です。
横浜といえども、自然がたくさんある所です。

カミングアウト  
あっ!蟻んこだ。
今はこんなに小さな命が愛おしく思えます。
頑張って生きろ~。

 




カミングアウト 家の近くの川です。
私が住む所には必ず川があります。
住んでた頃は、気にもとめなかった川。
今は不思議、何でも新鮮に見えます。
この川には鯉がたくさん、泳いでいるんですよ。
凄いでしょ!






カミングアウト馬の置物。私は午年です。
私が生まれて直ぐに父はこの置物を買ってきたそうです(笑)

AM9:00頃、父が警察から我が家に帰ってきました。
今日は葬儀屋さんとの打ち合わせの日です。
細かい所まで話し合い、決めました。私と弟が主だってやりました。
私はこの、話し合いに携わる事が出来たことを、幸せに思いました。
私が父の為にできる事は、これからもたくさんあると思いました。
その後は、昨日に引き続き親戚に電話です。

お通夜 4月25日。  告別式 4月26日。

葬儀場は今、混み合っているそうです。しかし、父と私達にとっては
少しでも長く一緒にいられる事が嬉しかったです。

天界に逝く心の準備をゆっくりして下さい。
私達も父を天界に送り出す心の準備をします。
父の死から毎日、父が安心して逝かれるように、毎日お祈りをしました。

この日の夕方、静岡に帰りました。主人と子供達は家事をよくやってくれて
いました。助かります。

21日、22日はヨガレッスン。
今日も変わらない、皆さんの笑顔に出会えた事が何よりの救いです。

恐らくレッスンがなかったら、気持ちも沈んでしまっていた事でしょう。
皆さん、ありがとうございます。
まだその時には、皆さんには父の事はご報告できませんでした。
その事を口にしたら、平常心ではいられないような気がしたので。

遅くなりましたが、ブログにてご報告させて頂きました。

23日、今度は家族4人で横浜に行きました。
父に会いたい気持ちもありますが、母の事が心配でした。

幼少時代から、母との良い思い出はありません。
いつも殴られ、蹴られ、痛い思いをしたことしか記憶にないのです。
紐で手足を縛られ、竹の物差しで叩かれ、何で怒られているのかも
分からず、どんどんエスカレートしてくる母に、恐怖以外には感じませんでした。
肉体の痛みは、すぐに消えます。でも心の痛みは今になっても
しっかりと残っています。言葉の暴力の方が残酷ですね。
「お前なんて生まなきゃよかった」こんな言葉を幼少時代から良く言われました。
虐待という簡単な言葉は使いたくありません。
虐待かもしれませんが、この世にたった1人しかいない母にいつかは
向き合って抱きしめてもらえる日を夢見ていましたので、やはり悪者には
したくないのです。

それでも、いつしか私は母を強烈に恨むようになっていました。
その恨みは、結婚して子供を授かった時にピークに達しました。
苦しくて苦しくて、子供をどう育ててあげればいいのか分からないのです。
子供にやってはいけない事は、分かります。
でも愛情を注ぐ事が全く分からないのです。
何をしてあげたら喜ぶのか?
何を言ってあげたらいいのか?愛情って何なのか?
何を信じたらいいのか?

結婚前に私が思った事は、結婚すればもう1人、母ができる事を
嬉しいと思いました。
夫の母とは仲良くしたいと。夫の両親は離婚しています。
でも私は義母の家の近くに住む事を希望し、新婚生活が始まりました。

でも、そう簡単には行きませんね。親に甘えることを知らない私は
やはり義母には可愛くない嫁に思えたのでしょう。
気持ちはあるのですが、どう心を開いたらいいのかが、分からないのです。
心を開く事が分からないのです。思った事を口に出す事ができないのです。

義母はそんな私をもどかしく、自分が嫌われていると勘違いをしたようです。
私が妊娠8ヶ月。夫の仕事が変わり、浜松から静岡に行く事になりました。

しかし、義母は私が義母を嫌がっての引っ越しだと思いこんでしまい、
5時間にわたる説教が待っていました。
お腹にさわらないようにと、私はただただ耐えました。怒りを押し殺しました。

「お前が来てからうちの息子は変わった。全部お前が悪い」
義母から言われた言葉は、私の心にもっと強烈な恨みを作りました。

納得がいかないまま、静岡に引っ越しました。
だれも私をかばってはくれません。
妊娠中という事もあり、心も不安定です。

このまま静岡で出産しました。親戚も友達も親も兄弟もいない土地での出産は
不安でいっぱいでした。

私が母親になる心の準備ができていないことを我が子は感じ取っていました。
予定日過ぎても、なかなかお産の気配がないのです。

陣痛促進剤でお産を促しましたが、私の心は不安定のままです。
ただイタズラに10分間隔の人口的な痛みだけが襲ってきます。
本当はこの痛みに促されて、本当の陣痛が始まるはずですが、
一向に10分間隔のまま、4日目の朝を迎えました。
陣痛との戦いで、一睡もできていません。
熱も出始めて、体力は限界でした。
限界寸前で、ようやく痛む感覚が短くなってきました。
そして、破水。いきみも感じてきていよいよ分娩室へ。

恐怖心は全くありませんでした。とにかく早くこの世へ生みだしたい。
その気持ちでいっぱいでした。
やっと母性が芽生え、肝がすわりました。

産道を通り生まれてきた我が子の首には、へその緒が3重にも絡み合って
いました。普通なら仮死状態のはずが、すぐに産声をあげ、私に声援を
送っているようでした。
しかし、首は思った以上に締め付けられていたようで飲んだミルクは
全部吐き出してしまいます。
暫く、助産婦さんの元へ預け、回復を待ちました。
私は色々あってか母乳はでませんでした。

なんとか1週間で退院ができました。
私の不安な気持ちが通じてしまうのでしょう。
私の肌に触れていないと勢いよく泣きっぱなしでした。

妊娠中に義母から言われた言葉を思い出しては、怒りをどこに
ぶつけていいのか分からず、苦しさが増すばかりでした。
ぶつける所がない私は、夫に思いをぶつける毎日でした。

こんなはずじゃなかった。

我が子が泣く度に、気が変になりそうでした。

「誰か助けて。」

本当なら、誰もが里帰り分娩しますが、帰るのが怖かったです。
だから、静岡で静かに生みましたが、私の心はかなりボロボロでした。

毎日、暗い顔をして、気が変になっていました。
何もやる気が起こらず、生きている事にさえ恨みを感じていました。
家の中はめちゃくちゃです。怒りが時折こみ上げてくると、大声を
張り上げ、茶碗やお皿を投げつけては割っていました。

自分をコントロールできない苦しさ。
理性を失う恐ろしさ。

我が子、生後半年。自分の異常にこれ以上どうしたらいいのか
分からず、夫に頼みこみ病院へ連れて行ってもらいました。

心の病気を診てくれるところです。小さな所ですが先生がとても
熱心なので、心が落ち着きました。
簡単なテストと診察で薬をだしてもらいました。
「ショックな事を経験すると恐怖心が奥深くつき、頭でそれを考えて
しまい、自分をコントロールできなくなっている」との事。
軽いうつ病のようなものだそうです。

薬を飲む事によって脳を少し麻痺させて、余分な事を考えられなく
するとの事でした。
その薬を飲むととにかく眠くなります。
生後6ヶ月の我が子がいるので、なかなか熟睡はできませんでした。
私の変わりようにも、夫は嫌気がさしている様子で、あまり協力的では
ありませんでした。

しかし、心のどこかで、このままの自分では嫌でした。
本当の私はこんなではない。それを強く強く持ち続けました。

子供を抱いて、病院に通いました。
うつ病になると体を動かす事も嫌になります。
生きる喜びも感じなくなりますが死ぬ勇気まではないのです。
言い変えれば、死んではいけない事は、心のどこかで
ちゃんと感じていたようにも思います。
勿論、わたしの場合です。色々なパターンがあると思います。
もっと、つらい人はたくさん、いると思います。

病院に通っていくうちに、私以上に重い心の病気の人が
待合室にたくさんいる事を感じました。
それを知った私は、「このままではいけない」と思いました。
「私は軽い方じゃないか。もっと重い人がいたんだ」
そんな事を感じ、心の病を克服していきました。

もともと、心は弱い方だと思います。
真面目で頑張り屋さん。
いつしか、自分を守る為に身に付けたものです。
時には自分を苦しめる事にもなります。

私のヨガは決して頑張らないでほしい事を訴えてきました。

頑張ると自分が見えなくなってしまう事を良く知っているからです。

頑張ると痛みをうまく感じとれなくなってしまうからです。

それでも、皆さん、毎日頑張っているはずです。
だから、せめて私と関わるヨガの時間だけは頑張る事より、
ありのままの自分を感じてほしいのです。

奇麗にカッコよくポーズを決めようとしないでほしいのです。

目にみえる物はいずれ、形を変える時がきます。
いつまでも奇麗で、かっこいいままではいられません。

肉体は神様からの借り物です。自分の物ではありません。
いずれ、返さなくてはならない日がやってきます。

返す時は真っ白い状態で返します。
その時が一番、奇麗な姿です。
白は透明を意味します。


父も真っ白になって天界へと旅立ちました。

23日の午後に横浜に到着です。

今日は母、弟、夫、子供2人と私で父を囲んで、ゆっくりと過ごす
つもりでした。

しかし、ひょんな事から、母への怒りの気持ちがこみ上げてきました。
いまは父を亡くし、弱っている母に対しての言葉ではありませんでした。
でも、私はまだ父がいる間に、どうしても決着をつけたかったのです。
自分の気持ちに嘘はつけませんでした。

こんな時だからこそ、私は母にいままでの想いをぶつけました。
怒鳴りあい、取っ組み合い、弟と夫が止めに入りました。
2人で泣きながらの親子での大喧嘩です。

恨みとこれからの母への心配との葛藤が、こんな形でしか表現できない
私です。

その後、弟が母を言いなだめていました。
子供2人も不安な気持ちにさせてしまいました。

その後、私と母は顔も合わせずに、別々の部屋で寝る事にしました。

私のやった事は、皆から責められても仕方がありません。
それを覚悟でいました。

しかし、弟が私に言った言葉は「姉ちゃんの気持ち分かるよ」でした。
何で?
弟は実は父に対して、強烈な恨みを持っていたのです。
「俺は親父と心が通わないまま、終わってしまった。だから姉ちゃんの
気持ちが良く分かる」
と言うのです。何と言葉を返せばいいのか分かりませんでした。

夫からの言葉は「お父さんが亡くなった事で、お母さんとこれからは
ちゃんと向き合えるといいね」と。

中3の息子からは「おばあちゃんは今、気持ちが弱くなっている時
なんだから、お母さんも悪いと思うよ。だからちゃんと仲直りしてね」と。

私は信じられませんでした。

こんなにも私と母との事を理解してくれていたなんて。
ありがたい気持ちでいっぱいでした。

「私は何をやっているんだろう」

夜中の12時をとっくに過ぎていましたが、母の部屋に行く事にしました。
心配して息子が「どこに行くの?」と聞いてきましたが、
私は「トイレだよ」と言いながら部屋を出ました。

向かった先は母の元です。
背中を丸くして、小さくなって寝ていました。
そっと声をかけてみると、すぐに返事が返ってきました。
私が来るのを待っていたかのようです。
母はすぐに私に「ごめんね」と言ってきました。

そして、わたしの肩を抱き、泣きながら今までの事を詫びてきました。
生まれて初めての母の抱擁。
母親の温もりって、こんな感じだったんだ。
初めての事に戸惑う私がいました。
夢にまで見た事。それは母の胸に抱かれる事でした。

物心ついた時から、母に抱かれた事はありませんでした。
ようやく夢が叶いました。
私はどんなに高価な宝石よりも、お金よりも、
何が一番、欲しいと聞かれたなら迷わず、
「母の愛」と応えていました。

今思えばきっと母は私に愛は、もっていたはずです。
そう信じたいです。
今までの恨みや怒りは、静かに音を立てずにどこかに
流れて行くのを感じました。

母と2人で父の側に行き、
「どうしてお父さんがいた時に、こんな風になれなかったのかね」
と母が呟きました。

私はその日の夜、母と素直な気持ちで初めて話す事ができました。
母もとても素直に自分の気持ちを話してくれました。

良かった。良かった。本当に良かった。

その日の夜は久しぶりに母は、ぐっすり眠れそうだと言ってくれました。

私は自分の部屋に戻りました。
夫と娘は眠っていたのですが息子はパッチリと目を開けて
私が戻って来るのを待っていたようです。

もう夜中の2時でした。
仲直りした事を話すと、息子は「良かったね」と一言、言って
私に握手を求めてきました。

なんとまぁ。こんなどうしょうもない母親なのに、、、、。


次の日、なんだか私は自分の人生が本格的に始まった気がして
なりませんでした。
今まではベース作り、これからは次のステップへ。

無性に幼少時代に住んでいた場所が気になり、夫に頼んで
一緒に行ってもらいました。
 


カミングアウト ここは私が4歳から20歳まで
住んでいた所です。

バス停も新しくなり変わって
いました。






カミングアウト 辺りはこんな感じです。
線路があって、
電車が通っていました。
「こどもの国線」です。


のどかな風景が大好き
でした。



カミングアウト やはり川が流れています。
この川も前よりも
奇麗になっていました。








カミングアウト 私が通っていた小学校です。
新しい校舎ができて
校庭が狭くなっていました。

懐かしいような寂しいような。






カミングアウト 高校です。
中学校は少しはなれているので
この日は小学校と高校に訪れました。

ちなみに、田奈小、田奈中、田奈高です。










そんなこんなで、24日は過去を癒すかのような時間になりました。

実を言うと、私は母との事はいずれ向き合い、どうかしたいと
思っていました。
でも、なかなかできず、がっちりと重い蓋をしていました。
見たくなかったので、、、、。

しかし、ヨガを始めるようになり、少しずつその蓋がずれ始め
そろそろ開けなくてはと思い、今年の3月の半ば頃に、
時間をかけてもいいから、今年は何かが大きく変わる
予感がしていました。

この蓋、開けるなら今年だ。
そう思いました。何故か分からないけど何かが私を
後押しするのです。

「よし、今年の誕生日を分岐点にしよう」
と思ったのでした。

何故そう思ったのかが今になって明らかになりました。



25日 お通夜を迎えました。
30年ぶりに会う人もいるぐらいの懐かしい顔ぶれです。
東京、埼玉、新潟、遠くから父の為に来て下さいました。
たくさんのお花で祭壇は飾られ、とても華やかです。


26日 告別式です。
いよいよ、肉体を神様にお返しする日です。
最後にお顔をたくさん、たくさん、触りました。
霊魂の抜けた肉体はこんなにも冷たいものなのですね。
お花を手向けて、好きだったタバコ。
いつも畑仕事の時に被っていた帽子。
大好きだった花札。
一緒に、持って行く事でしょう。

「安心して天界に行ってね。お母さんの事は任せて」

出棺です。
母、弟、私は父をのせた霊柩車に乗りました。
とても大きな、外車です。
最後に贅沢させてあげられました。
どちらかというと贅沢をせずに、物を大事にしてきた父でした。
物の大切さは父から教わりました。

火葬場に着き、この日は10人の方が天界行きの列車に
乗るようです。
1人じゃなくて良かったね。寂しくないね。

約1時間くらいが経ち、アナウンスで名前を呼ばれ
母、弟、私の3人は、骨にだけになった父との対面です。

不思議と悲しみはなく、無事肉体から離れた事に安心しました。
奇麗な骨でした。



今回の父の突然の死は、私と母の距離を奇跡的に縮めてくれました。
私はまだまだ、親孝行らしい事をしないまま他界してしまった父には
これからが本当の親孝行だと思っています。
今からでも遅くないと思います。

人、一人が亡くなる事が、こんなにも多大な影響力があるとは、
思いませんでした。

今になって父の大きさを感じています。

今まで以上に父を毎日想い、天界での暮らしを素晴らしいものに
してあげられるのは、現世に残された者次第ではないでしょうか。

天界に逝く、広いみちを作るのも私達の役目だと思いました。

お通夜、告別式、初七日、四十九日、全部に意味があり、必要な事。

今まで、あまりいい娘でなかった分、お父さんの新盆には少しは
まともな娘でいる事を約束致します。




お父さん、私とお母さんとの事、天界から見守っていて下さい。

宜しくお願いします。



今日、4月29日は私の44回目の誕生日となりました。

お父さんの旅立ちは無駄にはしません。

今までありがとうございました。

安らかにおやすみ下さい。

カミングアウト



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Posted by You at 16:59 │Youの出来事
この記事へのコメント
大変だったね。
そんな事とは知らず
コメントに「続けること」を進めてごめんね。
私も川崎の母親がベッドで息を引き取っている姿で発見され
警察が来て「解剖する」の一言に切れて
警察官の胸ぐらをつかんで…
結局上司が来て家族の痛みを了解して戴き
「解剖」から救われた思い出があります。
その時から私は母親は「私の心に住みついた」と信じています。
体は焼かれて天に召されても魂は私の心に…
Youさんが本音をぶつけることによって
お母さんとの心の通いができたということは
一番の親孝行ですよ!
こんがりあった糸を元に戻す勇気は
本人が解決するしかできません。
それに向き合い「逆縁」と言われるものを
元に戻す勇気はとても大切なことです。
しかし必ずやり遂げて絶対に来世に持ち込まないことです。
笑ってわかりあえる喜びを有難う!!
Posted by イツキイツキ at 2010年04月30日 06:47
イツキさん(^^)
ありがとうございます。
ご心配、おかけ致しました。
パソコンに向き合っている最中の弟からの電話で
なかなか、パソコンを開く気がしなくて、
ようやく軌道開始です。
イツキさんのコメントにまたまた泣けてきそうでした。
いつも温かいコメント、嬉しいです。
そうなんです。絶対に来世には持ち越したくないという
強い思いがありました。
「一番の親孝行」この言葉に救われます。
本当の親孝行をこれからして行きます。
Posted by You at 2010年05月01日 23:33
You!頑張れ!
皆温かく応援してるから!
人との繋がりは強いから!
そして教室の生徒さんたちも!
Posted by イツキイツキ at 2010年05月02日 08:13
こんばんは!
いろいろつらい思いもされたようですね。
しばらくは、いろいろな良い事悪い事、思いにふけってしまう事があると思います。
何でもそうですが、いずれ時間が解決してくれます。
youさん自身が家族と楽しく、幸せに過ごしている事が一番の親孝行だと思います。
親は、自分の子供が幸せに暮らしていることが一番うれしいんじゃないですかね。
落ち着いたら、楽しい写真UPして下さい。
Posted by へんぽらいへんぽらい at 2010年05月02日 22:14
へんぼらいさん(^^)
ありがとうございます。
そうですね。幸せに暮らしてる事が一番嬉しいですよね。
これからは、少し私の生き方がほんのちょっぴり
いい意味で違ってきそうです。
励ましの御言葉、嬉しかったです。
ありがとうございます。
Posted by You at 2010年05月03日 13:46
イツキさん(^^)
ありがとうございます。
本当に繋がりって大事ですね。
皆さん、温かいです。
感謝。感謝。感謝。
Posted by You at 2010年05月03日 13:48
本当に大変でしたね。

偶然というか必然というか。
私は4/20で44歳になりました。
おととし父を天国へ送り出しました。
そして、お母様とのお話。
ヨガが大好きです。
そして尊敬するヨガの先生YOU先生と言います。

似すぎています。
私は小さい頃から母にほめられたことがありません。
抱きしめてもらったこと?物心ついてからはないですね。
うーん、コメントでは全てをお話できませんが。

今は足腰が弱くなって、気持ちも明るくならないようです。
ほんの少し前まで恨んでばかりいましたが、なぜか突然
そういうのやーめた!って思うようになりました。
不思議ですね。今はうまくつきあっています。

Youさん、私も応援させてくださいね。
Posted by megmeg at 2010年05月03日 18:20
meqさん(^^)
コメントありがとうございます。
本当に似ていますね。
何か深い繋がりを感じます。
meqさんのコメントを読ませて頂いて、
あまりにも似すぎていたので、最初は私の事を
書いてくれてるのかな?って思うほどでした。

私も今は、吹っ切れていて、だから書けたブログでした。
誰か他にも同じような方がいらっしゃったとしたら、
「大丈夫だよ」って肩を叩いてあげたい心境です。
「一人じゃないよ」って。

meqさん、また閲覧にいらして下さいね。
meqさんのブログも拝見させて頂きました。
素敵なライフワークを送っていらっしゃいますね。

ありがとうございました(^^)
Posted by You at 2010年05月04日 21:02
先生、本当に、その時、死なずに、生きていて下さって、、、
お礼を言いたいです。
私は先生の存在にどれほど救われたかわかりません。
どんなにか、辛く苦しい思いで過ごされたかと思うと、切ないです。
お父様の魂が、先生の恨みや怒りも一緒に神様のもとへ連れて行ってくれたんですね。お父様の魂と一緒に恨みや怒りも成仏するのですね。
人一人の死はとても大きいですね。
お母様もきっと苦しまれたのでしょうね。
息子さん、とても心強いですねヽ(^。^)ノ

私も子供の頃はいい思い出はありません。。。

辛かったり、苦しい時は、這ってでもとりあえず生きていればいいと思います。頑張って呼吸して。
心は完全に死んでいて、生きる気力がない時でも、トイレには行きたくなります。そんな時、ろくに食べず、体のことなんて顧みずに過ごしている、その間も、体は一生懸命働いて、生きようとしているんだと、感じます。
私に「生きたいよ!」と訴えている気がするんです。

育てていた植物に、水さえ与える元気もなく、青々茂っていた葉が全て落ち枯れ果て、みるも無残な姿になり、ほったらかしにしていたのに、
その枝から、虫眼鏡じゃなきゃ見えないほどの、緑の粒、新芽を見つけたときの驚き。この子は生きていた。命は繋がっていたんですね。
その小さな芽が私を励ましてくれているのを確かに感じました。

生きてさえいれば、、、。
へんぼらいさんのおっしゃる通り、最後は時間が解決してくれると思うのです

宿命は逃げずに受け入れるしかないのですね。

うちの愛犬Pちゃんも過酷な幼少時代を過ごしてきました。
飼い主から捨てられ、孤独、虐待、死の恐怖、、、。
一番甘えたい、遊びたい盛りを自分の身を守るために、一人で人間と戦って過ごしてきたのです。
3歳の時に私の息子になりました。
Pを抱きあげるのが私の夢でした。警戒心が解けず、脇腹さえ触らせてくれませんでした。うちにきて、2ヶ月目で、車に跳ねられそのまま行方不明に。
二日後に発見された時は、大人10人くらいにとりかこまれていました。
15キロあるPが子犬のように小さく見え、一瞬、別の犬かと思ったほどです。もう立ち上がることさえできないのに、毛を逆なで牙をむき出し、体全身で精一杯の威嚇をしていました。
Pのそばに駆け寄ると思いきり噛みついてきました。手から赤いものが流れてくるので、噛まれていると気が付いた感じです。
痛いとも怖いとも思いませんでした。Pを抱きしめました。
威嚇していたその体は恐怖でガタガタ震えていました。
次第にPは噛むのをやめ、私に体を預けてくれました。
Pを抱き上げて連れて帰りました。こんな形で私の夢が叶うなんて複雑でしたけれど。
Pは、けなげで素直で、心優しい子に育ってくれています。
なにより、辛いことなんてなかったかのように、屈託がなく明るい子です。
Pは神からの贈り物です。いつも勇気付けられます。 

蓮の花は、泥水の中で育ち、目を奪うほど、清らかで美しい花を咲かせます。
先生は蓮のお花のような人です。

         御仏の一番近くで咲く花です。

      
      お父様のご冥福を心からお祈りします。
Posted by すみれ at 2010年05月10日 03:17
すみれさん(^^)
どんな事を御返事したらいいのか分からないくらいに
心に響くものを感じました。
心にしみました。

心は死んでいるのに体は一生懸命、働いている。
その通りですね。

生きるって、やっぱり生かされているんですよね。
すみれさんなら、もう心と体で感じ取っておられるでしょう。

私の存在を、こんなにも大きく感じてくださっているなんて、
こちらこそ救われます。

すみれさんは、人の痛み、辛み、が分かる方だと感じていました。
Pちゃんの心も深く感じ取っていたからこそ、
いまではPちゃんも、すみれさんを親のように慕ってくるのでしょう。

車にはねられたという、一見、残酷に思えるような出来事が
Pちゃんとすみれさんの心を、繋いだのでしょう。

やはり、出来事には全て、意味があり、神様のお計らいですね。

苦しい出来事は、特にそれを感じます。

母と母も、、、。父の死は一見、悲しい出来事です。
しかし、父は母と私を繋ぐ大きな架け橋となり、
最期に大役を果たしてくれました。

すみれさんの言う通り、私の中にあった恨みや怒りを天界にもって行って
くれました。

きっと破壊の神様(シヴァ)に預けてくれた事でしょう。

生きる事の強さと素晴らしさを誰よりも感じているすみれさん。

これからもすみれさんは、多くの方の魂を救う事ができると確信しています。
辛さ、悲しみを痛感した方にしかない優しさが、溢れています。

「蓮の花」のような人。。。。。
涙が溢れました。
こんな風に感じている方がいるのなら、
本当に「蓮の花」のようになれるように精進していきます。

私はヨガを教えていますが、

「教えるとは、教わるという事」

その事を、感じずにはいられません。


すみれさん、私にまた大きな事を教えてくれました。

ありがとう。

本当にありがとう。
Posted by You at 2010年05月10日 08:41
youせんせ

先日のお話会のとき、ちょこっとお父様のお話は伺いましたが
なぜか私はいま、この記事を読むことになりました

私もなかなか母親への思いは難しく
だからこそ、母親になることを恐れています

わが子を愛し、育てることができるのか?
育て方がわかるのか?ってね…

かっつーくん、いいですねぇ
そんな彼に育てたのは、オリジナルのせんせですもんね~
せんせは、すばらしいお母さんですね

わたしは母とのことをどうすることもできず
結局今年はホ・オポノポノを選択しました
すべては自分の責任と受け取って
ただただクリーニングしています

まだまだひよっこです…

がんばらなくてよいというyouせんせのヨガのルーツがここにあったのですね

ありがとうございました
Posted by はらり at 2010年09月21日 21:31
はらりちゃん(^^)
よく読んでくれましたね。
私のルーツここにありです。
今もなお、母親の立場の私は、暗闇を手探り状態ですよ。
これまでの、辛み、恨み、憎しみ、感しみ、苦しみは、全て支えになっています。この支えを元に、私は多くの方々に自分の過去も現在も未来も使って、できる限りのことをやっていきたいと思いました。
すると、いつしか、過去の傷が癒えて行くのを感じました。
人の痛みが分かる人間になりたくて、無理しないヨガが自然とできました。

自分の子供たちに何ができるのかな?
これも私の課題です。
普通ならできる事が、私にはできません。
子供に対しての愛情が分からないままで、今も毎日を送っています。
私の子供は、私が母で幸せなのかなって。
こんな事、よく思います。
でも、きっと意味のあるご縁なのでしょうね。

この間の、はらりちゃんの数字で見てもらったものは、
とても納得しましたよ。

はらりちゃんは、今世きっとおおきなお役目がありそうですね。

これまでの経験の中に、学びがたくさんあったことでしょう。

人生これからです♪
女は40からさ!!
40とは、試練を意味する数字です。

今までは試練。これからは使命。

はらりちゃん、一緒に歩いて行こう♪♪♪
Posted by You at 2010年09月21日 21:59
youせんせ
これから…
よろしくおねがいいたします
Posted by はらり at 2010年09月22日 22:46
はらりちゃん(^^)
こちらこそ♪宜しくお願いします♪
はらりちゃんとの出逢いに乾杯(*^^)v
Posted by YouYou at 2010年09月22日 22:59
読ませていただきました。

私からも「良かったね!」って言いたくなりました。

お父様の死が、これほどまで家族を、親と子を繋げてくれた事に感動です。


元気もらいました^^。



自分の父もいつもどこかで見ていてくれているはずなので、頑張れそう。
Posted by 金太郎そば金太郎そば at 2010年10月14日 21:35
金太郎さん(^^)
良かったです。
そして、ありがとうございます。
きっと、みてくれていますよ。
今までと、変わりなく。ずっとずっと。
一緒に頑張りましょうね♪
ブログって、深いですね♪
Posted by YouYou at 2010年10月14日 23:27
天に旅立つ前に、お父様が Youさんとお母様に与えてくださった
出来事のような気が、とてもしました。

絡まり合った心の糸をほぐす事は、容易ではなかった事と思います。

長きに亘って、溜まりに溜まった、出口のない苦しい感情は…
向き合って話すだけでは、きっと解毒する事が出来ないほど、
壮絶なものだったと思います。中にあった全ての感情を出しきって
ぶつけあって、求めていた形を手に入れられたのですね。

お父様も とても安心して 天に旅立たれた事と思います。
 
Youさんは、全てを優しく包み込み、魂を無理のない形でほぐして、
温かく導いてくださる先生ですね。素敵なオーラを感じました。

心と心でお話しできるYouさんとの素敵な出会いに心より感謝しております、
今後ともよろしくお願いいたします。
 
Posted by 千珠千珠 at 2010年11月07日 20:02
千珠さん(^^)
読んでくださって、ありがとうございます♪
千珠さんには、私の過去も現在も未来も、しってもらいたい気がして
しまって、初めてお会いしたのに、自分をさらけ出せるって、思いました。
千珠さん♪大きな出逢いです♪良く分かりませんが、直感的に、感じています。父の事、母の事、色々ありましたが、この色々が良かったのだと、
今なら、思えます。千珠さんの占いで、その事がより一層、濃く感じ取る事ができました。「思う」から「確信」へ動き出しました。
大きく私の背中を押して下さいました♪
ありがとうございます。
嬉しい言霊のプレゼント、大事にします。
千珠さん、こんなに人を温かくする事が出来る人は、たくさんの試練を乗り越えた方なのでしょうね。
これからも、たくさんの方が千珠さんを訪ねていくと思います。
お身体、大事にして下さいね♪
これからも、ヨロシクお願いします♪
Posted by You at 2010年11月07日 22:11

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